抽象しきれないもの

「ウォール街で最も有名な日本人」伊藤清さん死去との訃報。ガウス賞の、初代にしてまだ一人しかいない受賞者。

その訃報の記事に寄せられた、高橋陽一郎教授の話がよかった。 

日本発の数学が欧米にも広がり、経済に応用されるまで発展したのはあまり例のないことだ。しかし(伊藤先生は)、抽象的な数学が現実に応用されることには「測りきれない問題があるように思えてならない」と指摘していた。

こういう感覚、つまり「まだまだ現実は抽象しきれていない」と考える用心深さというのも、実は日本人の得意とするところだと思う。この種の慎重さは概して結果の確かさにつながり、エンジニアや製造業にとっては有用な素質だ。理論化よりも、プラクティカルであることを優先する態度。

だけど理論が先走って、やや無茶なことでも押し通す西洋人のパワーというのも時には有用というか、学術なり技術なりの全体としてのダイナミズムに寄与するところが大きい。時にとんでもない間違いがあっても、長い目で見れば最後には正しいものが残る。頑なだったフランスTGVも、動力分散方式に移行するごとく。

たとえば犯罪でも、病気でも、地球の気候でも、時空間を見渡してまったく同じ状況というのは存在しない。だから、抽象化の極みである法律とか、根拠に基づく医学とか、コンピュータシミュレーションとかをどう使うのかが、常に問題になる。抽象しきれないものの問題は深く、何かを否定しようとするとき、さらに大きくなる。それこそ血液型と性格の問題など、性格というものを抽象しきれないところに最初の困難がある。だけどそういう場所に、新しい科学もあるはずだ。