福田にまつわるエトセトラ

福田コパンダが首相になったとき、アンケートによる国民の人気は麻生が上だった。それから一年、やっぱり人気がないことが原因で福田コパンダが辞めて、今度は麻生が首相になった。それほど、予想外ではない。

では一年前、自民党やマスコミは、国民の気持ちを無視してまで、何を守りたかったのだろう? わからない。そのことが最大の問題だ。本当の権力は誰が持っているのか、それが曖昧なことが。

少なくとも全体的な構図は、福田の父親が総理大臣だったころと比べたら、はるかに民主的になった。うちの祖母いわく、福田赳夫を好きな日本人など、ほとんどいなかった(支持率は次第に上昇したようだが)。話はそれるがジャイアントパンダ赳夫は、東大法でも一番という本当のエリートだったし、嫌みだったとしても今の政治家よりはよっぽど優秀だったろう。

麻生内閣(正確には総裁だけど)の門出は、「おめでとうございます」の声すらない記者会見で始まった。今マスコミでは、いろんな方向から麻生という個人あるいは自民党を叩く声が多い。前任者たちが能力不足だったのは確かだが、福田だって最初はマスコミが持ち上げていたわけで、そこは麻生に責任はない。国民からすれば中国人と自民党とマスコミにだけ支持されていた似非リーダーが終了し、一難去って少しでも麻生に期待したいところだ。小沢とか言ってる人は少数派で、だからこそ長く実力者でありながら野党なのだ。それをマスコミが叩かない異様さときたら。

麻生が野党やマスコミのみならず、自民党内からも腐されている現状を見ていると、逆に、麻生ってすごいマトモな人なんじゃないかという気すらしてくる。これは国政の場において、正常な人事が行われていないという印象が強いからで、それこそ安部や福田が良い例である。今回の総裁選でも、もっともクリーンでスタンドアローンなキャラを持った石破さんが最下位っていうあたり、まともな議論や良識が通用しない世界という印象を強めている。何より、年寄りが多すぎる。

小泉は人気があったから、ずっと主張していた郵政民営化を実現するなど、ちゃんと仕事ができた。大事なのは、郵政民営化が正しかったかどうかではない。国政とはしばしば、正しいかどうか、すぐに結論が出るようなものではないのだ。ただちに判断できるのは、世の中を動かせたかどうかである。政治力という言葉の意味はこれだ。民主党政権担当能力があるか、などというのは空虚な議論であって、もし人気があるなら任せてみればよい。そんなこと言ったら二代目ブッシュにその能力があったのか、はなはだ疑問である。操作的に測定できないものは、単なるむなしい概念にすぎないので、仕事は後でしか判断できない。だから最初は、人気ありきでいいし、それしかないのだ。

人気のない国家の代表など、それ自体が矛盾だし、経済などにもよい影響を与えない。その前提として、代表が本当に権力を持っているかどうかが大切だ。アメリカでもそうなってきているらしいが、「細川政権で小沢が仕切っていた」みたいな話は民主主義の理念に反する。これからの政治家は、ブログなりを使って、まず自分の考えを持っていることを明らかにし、その個性を武器にするしかない。そうならなければおかしいという意味で。