東大foolocracy

自民党を襲った失言魔・中山成彬に関連して思い出したけどドラえもんに「ニクメナイン」という薬の話がある。世の中には憎めない人というのがいて、同じことをやっても周囲の反応は違ってくる、ということを全ての子供に教えた藤本弘の偉大さよ。たとえば毒舌で知られながら長く活躍するタレントには、必ずその種の「かわいらしさ」が備わっているものだ。

中山成彬には、(そんなんでカバーしきれないとしても)そういう魅力すらなかった。自分のキャラクターを読むことができないのだから、能力不足と言える。毒舌とは、けだし実にデリケートで難しいものだ。それを報道するマスコミにも、そのあたりのセンスは望めないから、政治家はさらに注意が必要となる。

そんな能力不足の中山成彬は、東大出身である。私は、世の中は学歴主義であるべきと考えているけれども、今の政治家に関しては高学歴ほど能力が低い、という傾向がある気がする。ほかには「産む機械」騒動の柳澤伯夫に、「原爆投下はしょうがない」+カネがらみで辞職した久間章生が東大出身である。

だけど、これはパラドックスではない。なぜなら、政治家というのは別に人気のある職業ではないからだ。

あまり学生に人気のない企業では、高学歴な新入社員ほど使えないという話を、人事課にいた人から聞いたことがある。同レベルの人材が集まるとすれば、高学歴であるほど、学歴しか売りがない可能性が高くなるし、それまでに人気企業を落とされてきたのだろうから、当たり前の話だ。

東大出身者にも、確かに空気の読めない使えない奴は多いだろうが、うわずみにはもっと優秀な人材が必ずいる。だから政治を良くするには、政治家の待遇を良くするしかない。今は、彼らはメーカーと金融に行ってしまっているはずだ(しかも海外?)。乱暴な話、別に政治に興味なんかなくてもいい。金目当てであっても、優秀な者は全体のレベルを上げるし、政治が好きな人間など逆に危険でもある。

それを踏まえたうえで、有用なのが学歴主義だ。これは単に学歴を重視するということではなく、学歴に意味を持たせるということだ。能力のある者が東大なりに集まるよう、競争を導入し、人事課の仕事をラクにするのが目的である。方法は簡単で、学歴が高いほど収入が高くなるようにするだけだ。

もちろん最後は面接で決めるにしても、競争がなくなれば判断材料は絶対に少なくなってしまう。加えて、競争のおかげで全体の教養レベルも上がるのだから、一石二鳥だ。政治の世界で石原慎太郎程度がインテリ面をできるようでは、困るのである。石原と違ってフランス語を話せる舛添要一は、空気の読めるインテリとしてだけでも存在価値がある。

今の日本社会ではまだ、偏差値がかなり高くなければ十把一絡げにされてしまうが、もっと下のレベルまで偏差値を重視すべきだと思う。その層が努力をしなくなってしまうからだ。

最後に大切なのが、年寄りを早めに排除することだ。選ばれた若い人材がすぐに活躍できるようにしなければ、経験不足の中年世代ばかりになってしまう。これが今の状況である。