説明の難しさについて

最近いろんなブログを読むようになって、コメント欄の熱い議論を見るにつけ、とかく説明って難しいということを痛感する。何しろ我々はとにかく今すぐに、わからせたいのだ。あーイライラする。人間だもの。

以前に、どこかの掲示板か「知恵袋」みたいな質問サイトで、「ワット時」という単位についての質問を見た。質問者は、要するに単位が理解できずに混乱しているのだが、それに対する回答が見事に全て、的はずれだった。

回答者たちは、確かにわかっているのだが、質問者を助けることができない。ワットはエネルギーを出す速さで、ワット時はエネルギーだ、という説明をしてやれば一発だと思ったけど、その質問はすでにアウトデイトで回答できなかった。

ジョン・フォン・ノイマンいわく、

Young man, in mathematics you don't understand things. You just get used to them.
兄ちゃん、数学いうのは、「わかる」もんやない。慣れるもんや。(引用者訳)

wikiquoteより

天才数学者であっても、証明を読み下すことが、即「わかった」ことを意味しないらしい。してみると、もしかして、説明って本質的に困難というか不可能なのだろうか?だって証明って、いわば究極の丁寧な説明ではないの?

もう一つの例として、鏡に映ったものの左右が入れ替わることって、子供の頃には本当に不思議だった。

鏡に映っているものは、左右ではなく、前後が入れ替わっているのだ。

てな説明をよく見るが、これでわかる人って、いるのだろうか? 私の場合、これだけではダメで、3ステップを要した。

  1. 鏡に映ったものは、鏡に垂直な向きに裏返しになる。
  2. だけど裏返し(鏡像)には、一種類しかない。Tシャツと同じだ。
  3. 左右という方向は、上下と前後が決まってから最後に決まるという特徴がある。

だけど、これだっていつの間にか「慣れた」だけという気もする。もちろん、これで誰かに説明して、わからせることは可能かもしれない。だから逆に、一発でわかる人っていうのは、実は前からわかっていたんですね、わかります。

とにかく、わかるって、難しいのだ。三囚人問題の理解しにくさにこだわりまくった、確率の理解を探る―3囚人問題とその周辺という本がある。これとか、モンティ・ホール問題って、最初は計算しても半信半疑なのだが、そのうち、確かに慣れていた。一体何がわからなかったのか、今では、よくわからない

説明は、一般に不可能ではないが、確実でもない。結果は保証できず、人間辛抱だ、ということで。