血液型信者の告白

血液型と性格の問題というのは、ネット上を見てみると、必要以上にこじれている感じがする。血液型と性格に関連があると思っている人を、以下、信者と呼ぶ。今までに私が会った人の中では、たちの悪い信者はいなくて、むしろ反対論者(アンチと呼ぶ)のほうが強硬な感じがした。たしかにトラバ先にあるような(あり、トラバ先ってリンクされないの??)、田淵コーチなんかはよくよく業の深い信者であるし、「性格判断」という言い方自体、ニュアンスが強すぎる。こういう人が一般に、アンチを生む。*1
これは私にとっては困ったことで、というのも私は幼少時から、その信者なのだ。いや正確には信者じゃなくて、自分が教祖だ。能見とかいう人の本は社会人になってから読んだけど、あまりに断定しすぎだと思うし、参考にはならなかった。ただ、同じような感覚を持っている人はいるのだと思った。探せば、ここにもいるし。
私にとって問題は、血液型と結びつけうる因子を操作的に定義するのが難しいことにある。ほとんどの材料が、その人から「なんとなく受ける感じ」でしかないので、本に書けるものではない。また、これは日本人だけの問題だとも思う。何しろ日本は歩留まり勝負の、世界で一番清潔なディズニーリゾートがある国だ。人間も精密にできているので、糖蛋白の微細な違いが行動に反映されやすく、またそれを観測できると憶測される。私の場合スタートポイントは3種類の血液型に分かれた、うちの家族だった。そのあと、親しい友人の血液型が明らかに偏っていることや、AB型という血液型の特異さなど、いくつかのデータがあるが、決定的に情報が足りないと思うのは、AAとAO、BBとBOの区別だ(襲いかかって採血したいと思うことがある*2)。ABとOはその点、曖昧な点が少ないためか、私の主観データが多い。
もちろん大切なのは、十分に親しくなってから血液型を訊くことだ。そういう習慣を続けてきて、少なくともまだ、血液型と性格に相関はないな、という個人的な結論に至らない。
どんな人でも、誰かを「こいつとは永久に平行線だな」と思ったり(…血液型信者なんかを?)、「生理的に嫌い」とか思ったり、「全く理解できないけど嫌いじゃない」などと思うはずだ。こうした他人のプロパティは今のところ、操作的に定義することができない。上記は一例だが、性格というものが科学的に取り扱いにくく、いわんやその次元を網羅できないことは明らかだ。だから「心理学的な研究で関係がないことが示された」と言われても、困ってしまう。およそ世の中に、関係がないことを示すほど難しいことはないのに。そして、科学じゃないと言われても困ってしまう。科学というモノがあるのではなく、科学的な態度があるだけだからだ*3
私は音楽好きだが、世の中には音楽を全く解しない人もいる。一方で、私にはわからない、霊感があるという人がいる。正直、なんか気色悪いし、霊なんかいるはずないとは思うけど、そう思う人が何かを感じていることは否定しきれない(それを表現するのに、霊という言葉しかないだけかもしれない)。だから私のように血液型に何かあると感じている信者も、そういう気色悪さを持たれるものと承知しているし、滅多に話題にはしない。自分で信じるのは簡単で、人様を折伏するには根拠がいる。この簡単な原則をわきまえる理性を、信者諸兄には求めたい。

*1:ちょうど、喫煙者よりも嫌煙家のほうが強硬になるのに似ている。喫煙者はタバコが好きなだけだが、アンチが嫌っているのはタバコじゃなく人だからだ。問題の根っこは、エチケットをわきまえない喫煙者にある。もちろん例外もあろうが、同じ構図だ。

*2:血液型を決める抗原やその抗体は血液だけじゃなくて全身にあるので、唾液でも十分だが、本当はAAとAOを区別するのは容易ではない。また抗体の量は変わらないだろうから、抗体が関与しているなら違いはないかもしれない

*3:愛というモノはなく愛情に基づくと思われる行為があるだけなのと同じく