シメのラーメンの科学

独身のときいた赴任先で、行きつけの場末のスナックで朝まで飲んでいたら、いつも最後に味噌汁を出してくれた。その地方では珍しいサービスではなかったらしいが、これが非常にうまかったのをよく憶えている。だから痛飲した後というのは、おおかた低ナトリウム状態になっているのだろうと勝手に思っていた。ラーメンが食いたくなるのも同じ理屈だ。原則としてカラダにとって必須なものをおいしく感じるように、私たちはできている。

最近、飲酒後のラーメンに関してこんな記事が、少しだけ話題になった。「アルコールを摂ったら脱水状態になる」という記述があるのだが、ふつう酒を痛飲したときは水だって大量に摂取している。エタノールがバゾプレッシンというホルモンを抑制するという話は確からしいけど、その実験系が、どこまで現実の酒飲みの生理を模倣できているか、たいへん疑問だ。いくら利尿に働くといっても、飲んだ液体と比べてトイレで出す量は少ないと思う。一部は代謝に使われるとしても、本当に水の収支がマイナスになるのだろうか?

はてな」にも、「酒を飲んだ後にラーメンが食べたくなるのはなぜですか?医学的根拠で回答をお願いします」という質問があった。こういう質問に対する医学的根拠って、何だろうか。たとえばダーウィン進化論や「利己的な遺伝子」は生物学における有力な説明ではあるけど、証拠を出すような話ではない。後付けのモデル/理論というやつだ。実験によって反証できないから、それらを非科学的という人すらいる。

おしえてgooには、アルコールの代謝にエネルギーが必要なので「飲酒後3〜4時間以内に血糖値が50mg/dl以下に下がってしまいます」とか、「飲んだ後はラーメン、という固定観念があるから」といった回答。前者は、シメのラーメンは健康にはよくないから、やめましょうとまで言い切っている。

どうも、ちゃんとした根拠がないのに結論だけは簡単に出している人が多すぎる。ただの伝聞とか、いい加減な外挿に外挿を重ねた結論をやりとりしているこの人たちを見ると、科学がないならニセ科学を食べればいいじゃないというか、むしろ平民はニセ科学が好きなのかしらと思えてくる(まぁ一部、質問箱サイトの宿命とも言えるけど)。このせいでラーメンを我慢して、健康を損ねる人がいたらどうするのか。最後に水分プラス塩分を摂らずに寝てしまうと、私の場合は次の日しんどい。

リアルの酔っぱらいが飲んでいる酒量というのは、実験に使えるような量よりもずっと多い。酩酊レベルの急性アル中になっているわけだから、本気で実験したら倫理委員会を通らないだろう。調べた範囲では、酒の量を決めて、30分とか3時間かけて飲んでもらうような研究が多かった。

なんとか参考になる論文を探そうとして、本当の酔っぱらいのケースを求めた。そうすると私の予想に反し、確かにみな脱水で、ナトリウムも濃くなっているようだ。ただし、これらは病院に担ぎ込まれた重症例ばかりだ。アルコールの血中濃度が高いことが急性アル中の原因あるいは要件であることを思えば、脱水は、その結果かもしれないが原因かもしれない。もともと脱水気味のところに飲酒したから、急に血中濃度が上がって重症になった、はたまた相乗的に作用した可能性がある。

それに引き替え、単に血液が希釈された状態は、病院送りにはなりにくい。欧米では、ビールの多飲で起こる重症の低ナトリウムをBeer potomaniaというらしい。これはナトリウムが本当に低くて、神経症状が出ている(=mania)ほどの状態だから、味噌汁をうまいと思う程度の低ナトリウム状態だったら頻繁に起こっている可能性がある。日本人が飲む酒はビールと水割りが多く、どちらも世界基準では薄目だから、これは参考になると思う。頭がおかしくなるまで立って飲んでいられるというあたり、欧州人はやっぱりアレというか体力があるな。

現時点で私に言えるのは、どうやら酒の飲み方によって、血が薄まったり濃くなったりするらしい、てこと。血が濃くなるような飲み方をする人は、あるいはラーメンの食べたさが私とは違うのかもしれない。