安全性という基準

マイケル・クライトンが亡くなった。小説は一つも読んだことがなくて、自伝的おもしろエッセイの「インナー・トラヴェルズ」だけだ。2メートルの長身でハンサムで、ハーバード医学部を出て小説を書いたら大ヒットという困った人物。この本の中にも、外でいきなり女に誘われて一発やった逸話が書かれていた(大男とやりたかった、とかで)。あと映画監督をしてみたときに、ショーン・コネリーという人物のカッコよさにいたく感服した話とか。

だけど一番おもしろかったのは、もちろんロンドンの霊媒師のくだりだった。もう私の記憶も曖昧だが、たしか霊媒師が本当に真実を言い当てることに驚いて、何度も通って確かめる話。誰も知らないはずのことを知っていたりするのだ。結局、どうして霊媒師がそんな芸当をできたのか、わからないままだった。そういう事実そのものではなく、それを目にした著者が動揺し、ネタを暴く方法を考えるところが面白く、ドキドキした。ここにあるのはトンデモどころか、科学の神髄だ。理科の教科書に出ている偉人たちは、まだ科学がない場所へ科学の範囲を拡げた。それは世界を拡げることだ。

ところが、やはりこの本は、トンデモに属する、あるいはインチキ商売のオカルト系サイトで紹介されていた。確かに「本当の霊媒師がいる」ということを結局否定できていないので、仕方ないとは言える。大事だと思うのは、だからといってクライトンを非難してはいけないということだ。そうでないと、「インチキがばれた霊媒師」の話しかできないことになる。

学生の時、原爆に利用されたのでアインシュタインの研究は悪だ、と主張する友達がいた。その男は東大を出て法律の専門家になったが、何を企てているのか少し心配だ。

こんにゃくゼリーが危険かどうかの議論と似ているが、確かにクライトンの本もアインシュタインの仕事も、まったく安全というわけではない。我々の手が、いつか人を殺すかもしれないのと同じだ。だから、どのくらい安全か、ということの標準的な測定方法があったらさぞかし便利だろう。

バイクに何時間乗ることは、ロッククライミングを何分間するのと同じだけ危険、みたいな本が昔あった。こういう、死亡の統計から言える話はあっても、死なない程度の危険に関してはあまり情報がない。昔からニセ科学も危険ととなり合わせだ。動脈硬化があったらヤバイこれなんかまさに。ニセ科学というのは、もともと「無知」と相関が高いから、因果関係のみならず危険だ。

原爆にも使われた危険なアインシュタインの業績を、間違っていると主張する人がいるが、そういう人たちのために相対論フリーのカーナビを作ったら、それはそれで危険な気がする。